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共同体、幻想 [思うこと]

第2次世界大戦後、日本は民主国家として生まれ変わり
戦後生まれの世代は、
「個」 「自分、我」
を大切にする教育を受けて育った。

日本は人口密度が高い上に
居住できる地形が限られているから
おそらく、他人との距離感の半径が小さい。

だから、どうしても
「自分」が、自分の足で立つ前に
「フィールド」としての「集団」「共同体」の存在を意識せざるを得ない。

戦前・戦中を生きてきた世代も、まだまだご健在なので
この先達の目には、昨今のイジメや犯罪や児童虐待は
「共同体をないがしろにしがちな、個人主義者の身勝手な行い」
と映る。

せっかく打ち破ったつもりの、旧い価値観
-世間の目が大事、所属する共同体(会社、社会)のために自分は存在するー
をふりかざして、お説教されると
戦後生まれは、むっとくる。
もっと、自分らしく生きたいの~と思う。

でも、「個」を尊重することは、並大抵のことじゃない。
実際、若い世代でも、
「個の尊重」
「集団内でのバランス」
「集団内での自分の立ち位置」
「他人との距離感」
このあたりの右端と左端の間を、
行ったりきたり、うろうろとしている気がする。

少しでも他の子と違うところがあると、イジメの標的にされたり
「空気を読む」ことが、友達付き合いの最重要命題だったり。

あたりまえだけど、
風土が、歴史が、慣習が違う欧米の個人尊重主義を、
そのまま日本にあてはめても、うまくいかない。

「共同体」の意識は、日本人に深く根付いているんだと思う。
簡単にはなくならない。

震災後、復興に向けて
「日本国民一丸となって~」みたいな空気になっている。
言い方はさまざまだ。もっとソフトなものもある。が、
表現は違っても、おそらく、みんなでガンバロウーということだ。
みんな"が"がんばるーそのことに異論はない。
みんな"で"がんばるーは、何かひっかかる。

時々。その中に、
がんばらない人を非難するニュアンスが混じってることがあるから。
全部そうとは言わないけど。
そして、他人を非難する人は、その「がんばる」が、
自分の思っている「がんばりかた」じゃないと、認めないのだ。

経済を停滞させないようにと思い「がんばって」おでかけして遊ぶ人もいる。
「がんばって」なるべく、贅沢や遊興を控えることが、被災者への配慮と思う人もいる。

自分と異なる価値観を認めることのできる人が少ない。
日本で、共同体・集団を意識するとき、いつもそう思う。
異なる存在を認めつつ、ゆるやかに連帯するー
欧米の市民層の意識の高さに、いつも圧倒される。

原発の推進派と反対派の対立が
原発事業に携わる人や組織の働きを硬直させ、
起こりうるトラブルの充分な予測と安全対策を妨げ
今回のような事故を防げなかった。
もちろん、これはいくつかあるうちの、ひとつの要因にすぎない。

排他的な両派の対立は
中間層の存在を許さない。

「なんだか、危なそうな気がするけど、
電気ナシの生活は考えられないから
どっちかわかんな~い」

という人は、どちらの人からも、がっつり叱られる、おそらく。

だから、中間層は、その話題に触れないようにしてきた。

そのツケが回ってきたんだと思う。
が、さすがに、今ようやく、どうすべきか、考え始めた人も大勢いる。
私も、寝たふり派だったから、
今更、目が覚めたといって、大騒ぎする気はない。
ちゃんと調べたり、考えたりしなかったことは、大いに悔やんでいる。
反省してます。

とはいえ、現実的に、電気のない生活にいっぺんに戻るわけにいかない。
代替エネルギーも、明日から即運用できるわけじゃない。
いつ、どこでまた同様の事故が起きるかもしれない、
安全管理のずさんな原発が、どんな惨事を引き起こすか、
もうわかっちゃったから、
これからは、薄氷を踏む思いだけれど、
今、大多数の人たちが
「原発、怖いけど、頼るしかない」から
「原発ナシでも、なんとかならないんだろうか?」
にシフトしているように見える。

みんなが横並びで、同じ主張を通せば、話ははやい。
でも、対立した考え方があり、それぞれが
「全員が(自分の主張する)正しい説に賛同すべし」
と言っているうちは、前には進まない。

今までの、せっかくの原発反対の声が、
結局、推進派に押し切られてしまったのも
ピュアでストイックな運動方針ゆえだったようにも思える。

これは、ちょっと戦略を練った方がいいんじゃないか?

ここのところの、政党支持ナシ層の増加を見ても思うけど
「政党ありき」「運動母体ありき」で
一度、参加してしまったら、
あとは、そこの内部の主張に賛同し、ルールに従わなくてはならなくなる。

きっと、それじゃあ、いやだーという人が増えているんだと思う。

私もそうだから。
問題意識は持っていても、市民運動。。。カンベンしてーだった。

今、何かをしようと思っていて、ひっかかるのは、この点だ。
へたに、どこかに属してしまったら、息苦しくなるんじゃないかー
でも、ひとりでできることは知れている。

動き出した人から見れば、
単に「動かない」言い訳にもきこえるだろうが
多くの人を巻き込むことを目論むなら、
「ゆるやかに連帯する」
方法を考えることも必要なんじゃないかと
つらつら考えています。

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