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ダウンサイジング [思うこと]

今の経済システムは「エネルギー中毒者」だ:日経ビジネスオンライン
business.nikkeibp.co.jp

私も常々思っていたのですが、
なぜ、「経済の右肩上がりの発展」が是とされるのか。

なぜ、少子化が問題視されるのか。

そもそも日本という国にとって、
いろんなものが容量オーバーなんじゃないかー

なので、
「ダウンサイジングの先駆けとしての日本」
には共感できました。

老いの着地点 [思うこと]


楽器の特性と言うべきかww
高齢のみなさんの過ごす(暮らす)場所での演奏も多いのです。
最近は、歌声ブームなのか
たいへん、「歌の伴奏」が多くなりました。
札幌から引っ越して、一時控えていた
老人施設での活動も再開したので
今月も、3回ほど予定が入っています。

昨日は、とある場所での伴奏でした。
説明がムズカシイのですが、
経営者の方に、開所のいきさつをおききすると、
元は学生下宿だったものを、高齢者の方にお貸しすることにしたところ、
みなさん、高齢化で、介護が必要になってきて、
また、ひとりで部屋に閉じこもっていては、認知症もすすむように思えるので
食堂を、サロンのように、開放したんだそうです。
近くにマンションもお持ちだったので、
そこの方にも声をかけたら、みなさんお元気になってきて、
民間の介護事業所開設の条件の緩和もあって、
小規模多機能の介護施設の認定をうけたとのお話でした。

入所の皆さんは、年齢的には、大きな高齢者施設と変わらないのですが、
「下宿の食堂」のせいか、
とても家庭に近い雰囲気で。
それぞれが、きままにすごしつつ、
必要な時にケアが受けられる
(利用者さんは24名で、スタッフが20名くらい)
通いも泊りもOK(部屋貸しが基本なので)
そのかわり、
「24時間365日の営業です 笑」(経営者のSさん)

高齢者施設に行くことは多いのに、
なぜ、昨日のところのことを、わざわざ書いてるのかといいますと
先月、すったもんだのあげく、祖父に、養護老人ホームに入ってもらって
私も、ここのところは
「身内を老人ホームに預ける立場」
だったからです。

歌の伴奏で、老人ホームに行っていて
職員さんたちの、誠実なお仕事ぶりをみていて、
ああ、家族で看るよりも、専門家に預けた方がいいなあ~と
これは、まるで他人事の感想だったのですが、
いざ、「身内を預ける立場」になってみると、
その辛さ、切なさがようやくわかるようになりました。

祖父は95歳で、去年の秋まで現役のマメつくり農家でした。
去年の秋じまいのあと、ようやく、隠居の決心をし、
一人暮らしを始めた途端、物忘れが激しくなり、
信金や市役所から呼び出しがかかる事態が続きました。

近くに身内はいるものの、フクザツな事情で、
私が面倒みているのですが
連絡が来次第かけつけてはいたものの、
3時間の峠越えは、そうそうできるものでもなく、
市役所の方にも、相談にのっていただき、
嫌がる祖父を説得していました。
先月、思わず早くに空きができて、
なんとか、祖父をなだめすかして、入所の運びとなったのでした。

でも、「住み慣れた自宅で暮らしたいんだろうなあ」
「近かったら、一緒に暮らすのになあ」
「集団生活で、95になってから、苦労させるのかあ」
と、罪悪感のタネは尽きず。。。。

昨日の高齢者下宿サロン(笑)にも、同じくらいの女性がいらして
思わず、祖父の話をしてしまった私です。
おそらく、みなさん、子供さんもいらっしゃるでしょう。
でも、子供がいても、都会で、ひとりでアパート住まい。
孫がいても、田舎の養護老人ホーム暮らし。

そういう時代なのかーと
とても考えさせられました。

できること [思うこと]



身の丈ーという言葉がある。

人間の欲望は果てしないけど、
ひとりの人間ができることには、限りがあるけど、
今、こうして生きて普通に生活できていることに感謝し
今の自分ができることを精一杯やろうー
多くの人が、この日本という国で、今考えていることだと思う。

一昨日、福島第一原発の一号基の格納容器内の圧力と温度が上がり
それについて、計器の故障という話もあるが、
一方で再臨界の可能性も出ているというので、
果たして、宮台真司さんの情報を丸のみしていいのかーと思いながら
京大原子炉実験所の小出裕章助教の講演の動画を観た(3月18日の)

小出さんは、専門家なんだけれど、
非常に慎重な言葉の選び方をしていて、
主張は一貫して、原発廃止論なんだけど、
今できることは何か、今考えうるベストの方法は何かも模索しつつ
発言している。
「絶対ダイジョウブです!!」と胸をたたく御用学者に比べれば
いささか、頼りないかもしれないけれど、
かえって、信頼できるなーと一時間半の講演を聴いてそう感じた。

低濃度汚染水を意図的に海に放出したことで
日本は、かなり国際的批判を浴びている。
震災直後は、温かい言葉と支援を寄せてくれていた世界中の国々だが
原発問題が深刻になっていくにつれ、
日本政府・東電の対応に対する不信感もあらわになってきたし
日本製品が輸入を断られ、観光客の足は遠のき
日本人はガイガーカウンターで計測されて外国に入国する事態だ。
それに加えて、事前通告ナシに、海に放射能汚染水を流しちゃったんだから、
これは、信用をなくして当然だと思う。
じゃあ、どうすればよかったんだーと言われると困るけど。
だって、情報がない。
海外のメディアの方が、知りたい情報を発信していることが多い。
海外メディアが、どのくらい信用できるかーも問題で、ますます混乱するけど。

震災後の自粛について、いろいろ議論されているが、
海外の人たちから見たら、ずいぶん危機感のない日本人に映るのじゃあないか。
被害が日本国内にとどまるなら、いざしらず、
隣国や、めぐりめぐって、遠く離れた国に被害を及ぼしかねない事故を起こしといて
のらりくらりと説明を繰り返している政府や東電に、抗議もせず
言論統制されて、安心して日常をおくっているんじゃあ、
仏TVに言われるまでもなく「日本人はバラエティ番組を見て笑っている場合か」だ。
会社の同僚や、ご近所の目は気にするのに、
どうして、世界の目は気にならないんだろう。
原発が予断を許さない状況なのに、
上野公園の桜の下で裸踊りをするおじさんの映像が、世界に流れたら
そっちの方がよほど恥ずかしい気がする。

私が、こんな文章を書いたって、情報統制が解除されるはずもなく
できることといえば、身近で困っている方のお手伝いをするくらいだ。
でも、そんな「身の丈」に合った行動だけでいいんだろうか~と
本当に真剣に考えてしまう。

今日は統一地方選の第一ラウンド。
わが選挙区では、道議が定員ぴったりなので、無投票当選。
知事選のみの投票だ。
せめて、今後の行政のすすんで欲しい方向のために
一票と投じてこようと思う。

共同体、幻想 [思うこと]

第2次世界大戦後、日本は民主国家として生まれ変わり
戦後生まれの世代は、
「個」 「自分、我」
を大切にする教育を受けて育った。

日本は人口密度が高い上に
居住できる地形が限られているから
おそらく、他人との距離感の半径が小さい。

だから、どうしても
「自分」が、自分の足で立つ前に
「フィールド」としての「集団」「共同体」の存在を意識せざるを得ない。

戦前・戦中を生きてきた世代も、まだまだご健在なので
この先達の目には、昨今のイジメや犯罪や児童虐待は
「共同体をないがしろにしがちな、個人主義者の身勝手な行い」
と映る。

せっかく打ち破ったつもりの、旧い価値観
-世間の目が大事、所属する共同体(会社、社会)のために自分は存在するー
をふりかざして、お説教されると
戦後生まれは、むっとくる。
もっと、自分らしく生きたいの~と思う。

でも、「個」を尊重することは、並大抵のことじゃない。
実際、若い世代でも、
「個の尊重」
「集団内でのバランス」
「集団内での自分の立ち位置」
「他人との距離感」
このあたりの右端と左端の間を、
行ったりきたり、うろうろとしている気がする。

少しでも他の子と違うところがあると、イジメの標的にされたり
「空気を読む」ことが、友達付き合いの最重要命題だったり。

あたりまえだけど、
風土が、歴史が、慣習が違う欧米の個人尊重主義を、
そのまま日本にあてはめても、うまくいかない。

「共同体」の意識は、日本人に深く根付いているんだと思う。
簡単にはなくならない。

震災後、復興に向けて
「日本国民一丸となって~」みたいな空気になっている。
言い方はさまざまだ。もっとソフトなものもある。が、
表現は違っても、おそらく、みんなでガンバロウーということだ。
みんな"が"がんばるーそのことに異論はない。
みんな"で"がんばるーは、何かひっかかる。

時々。その中に、
がんばらない人を非難するニュアンスが混じってることがあるから。
全部そうとは言わないけど。
そして、他人を非難する人は、その「がんばる」が、
自分の思っている「がんばりかた」じゃないと、認めないのだ。

経済を停滞させないようにと思い「がんばって」おでかけして遊ぶ人もいる。
「がんばって」なるべく、贅沢や遊興を控えることが、被災者への配慮と思う人もいる。

自分と異なる価値観を認めることのできる人が少ない。
日本で、共同体・集団を意識するとき、いつもそう思う。
異なる存在を認めつつ、ゆるやかに連帯するー
欧米の市民層の意識の高さに、いつも圧倒される。

原発の推進派と反対派の対立が
原発事業に携わる人や組織の働きを硬直させ、
起こりうるトラブルの充分な予測と安全対策を妨げ
今回のような事故を防げなかった。
もちろん、これはいくつかあるうちの、ひとつの要因にすぎない。

排他的な両派の対立は
中間層の存在を許さない。

「なんだか、危なそうな気がするけど、
電気ナシの生活は考えられないから
どっちかわかんな~い」

という人は、どちらの人からも、がっつり叱られる、おそらく。

だから、中間層は、その話題に触れないようにしてきた。

そのツケが回ってきたんだと思う。
が、さすがに、今ようやく、どうすべきか、考え始めた人も大勢いる。
私も、寝たふり派だったから、
今更、目が覚めたといって、大騒ぎする気はない。
ちゃんと調べたり、考えたりしなかったことは、大いに悔やんでいる。
反省してます。

とはいえ、現実的に、電気のない生活にいっぺんに戻るわけにいかない。
代替エネルギーも、明日から即運用できるわけじゃない。
いつ、どこでまた同様の事故が起きるかもしれない、
安全管理のずさんな原発が、どんな惨事を引き起こすか、
もうわかっちゃったから、
これからは、薄氷を踏む思いだけれど、
今、大多数の人たちが
「原発、怖いけど、頼るしかない」から
「原発ナシでも、なんとかならないんだろうか?」
にシフトしているように見える。

みんなが横並びで、同じ主張を通せば、話ははやい。
でも、対立した考え方があり、それぞれが
「全員が(自分の主張する)正しい説に賛同すべし」
と言っているうちは、前には進まない。

今までの、せっかくの原発反対の声が、
結局、推進派に押し切られてしまったのも
ピュアでストイックな運動方針ゆえだったようにも思える。

これは、ちょっと戦略を練った方がいいんじゃないか?

ここのところの、政党支持ナシ層の増加を見ても思うけど
「政党ありき」「運動母体ありき」で
一度、参加してしまったら、
あとは、そこの内部の主張に賛同し、ルールに従わなくてはならなくなる。

きっと、それじゃあ、いやだーという人が増えているんだと思う。

私もそうだから。
問題意識は持っていても、市民運動。。。カンベンしてーだった。

今、何かをしようと思っていて、ひっかかるのは、この点だ。
へたに、どこかに属してしまったら、息苦しくなるんじゃないかー
でも、ひとりでできることは知れている。

動き出した人から見れば、
単に「動かない」言い訳にもきこえるだろうが
多くの人を巻き込むことを目論むなら、
「ゆるやかに連帯する」
方法を考えることも必要なんじゃないかと
つらつら考えています。

匿名性 [思うこと]

はてな というブログサービスの中に
「匿名ダイアリー」
というのがある。

その中に
「頑張れとか復興って、今言うことじゃない。多分」
という日記があった。

最近、よく読まれているそうだ。

東北で被災し、家も船も流されてしまった兄
(書き手は、妹か弟)
が、おそらく身内だから、ぽろっともらしてしまった本音。

読んでいくうちに
ああ、そうだろうなー
と思った。
被災しなかった人には、
被災した人の絶望感は、本当にわからない。
被災しても、家が無事だった人には
家を流されてしまったひとの気持ちはわからない。
でも、私たちには、言ってあげる言葉がみつからない。
やれることも、少ししかない。
だから、「頑張って」って言うし、義捐金も送る。

そんなことを思いながら、ずーっと下まで読んでいったら
書き手も匿名だけど、コメントしている人たちも匿名。
そのコメントが、なんというかー
こちらも「本音」

インターネットの利用者が増え始めた頃、
その「匿名性」を称して
「便所の落書き」
と言った政治家がいたらしい。

実名じゃ言えないことも、匿名だと言える。
私は、読むのがツライので、2ちゃんねるは、あまりのぞかないが
日本人が匿名で吐き出す「毒」は、すさまじい。
でも、これって逆に言うと
吐き出さなければ、自分の中に溜まってくということだ。

匿名で毒を吐き散らすー毒は大抵「本音」であるし
どれも、自制の働かない剥き出しの感情だ。
吐き出さないと、ストレスとなり、
いつか爆発することになりかねないけど、
自制しないまま吐き出せば、エスカレートする危険性もある。

おそらく、日本は、
実名で本音なんか吐くことを許さない社会だ。
インターネットは、その意味で、
煽ったりエスカレートさせたりの負の影響もあるだろうけど
匿名の場があることで、救われている人も多いだろうなーと思う。

話を元に戻してー

被災者のお兄さんの本音は
きっと、身内に対してコボした「愚痴」だろうから
今は、弟(妹)さんが、だまって聞いてあげて
自分の胸におさめればよかったのにーと思う。
お兄さんはきっと、多くの人に訴えたいとは思わないんじゃないか。
推測だけど。
でも、弟(妹)さんが、日記に書きたくなった気持ちもわかる。
ほんとに、世の中にはいろんな声が飛び交っているから。
中には、あまりにも、被災した人の気持ちに配慮ない言動もあると思う。

なんか、まとまらなくなってきた。

facebook のノートに書こうと思ったのは
「実名制」がウリの facebook 上での「人のつながり」が
日本ではどう受け入れられるのかなーと展開したかったんだけど
まだ、別の機会に書きます。

eno blog: 息子へ。 [思うこと]

eno blog: 息子へ。


うんうん、と、うなづきながら読みました。

Togetter - 「もしもスティーブ・ジョブズが東電の社長だったら」 [思うこと]

Togetter - 「もしもスティーブ・ジョブズが東電の社長だったら」
togetter.com

余裕がなくなったナと感じたら、読みましょう。
深刻な気分の方にはオススメしません。
まったく、不謹慎だよ、アンタタチww

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